【読後感】陰陽師・安倍晴明「我、天命を覆す」は、自分の実力を試す一冊

Mikanお嬢様がお読みになった本で、ブロガーとしての実力を試せると思う1冊があった。後で振り返ることが出来るように、ここで紹介しておくことにする。

まずこの本は、ブックオフ2017年ラノベランキングで、女性向け部門7位の少年陰陽師シリーズである。本編は安倍晴明の孫の、安倍昌浩である。この本はスピンオフシリーズで、若き日の安倍晴明が主人公である。「Book」データベースの紹介は、下記の通りだ。

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陰陽師として類い希なる力を持っている安倍晴明。ある日、押しかけ親友、榎の誘いで賀茂祭を見に行った彼は、牛車の暴走に巻き込まれた橘の姫を助ける。ところが彼女は、底知れぬ力をもった化け物に憑かれていた。外つ国からきたという、その化け物を倒すため、晴明は十二神将を使役し、式神として戦おうとするが―!?累計四百万の部数を誇る「少年陰陽師」シリーズの著者が放つ新説・安倍晴明伝。
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この本は上記の通りで、十二神将を使役するため、彼が各々の神将の課す試練を乗り越えて行くといったストーリーである。この試練は、単なる実力テストではなく、脂質… ではなく資質や性格までも測るものである。

つまり清明は試練を通じて、自分というものを再認識させられる。清明は天狐の血を引くために一般人とは異なる能力や性格を持っているのだけれども、その部分まで試される。私は自分の姿を鏡で見るのはまっぴらご免であるが、それどころか自分の内面にも直面されられる。

ブログを書くということは、陰陽師のやることにも似ているかもしれない。他人や自分の内面を見て、目を背けたくなるような醜い部分や利己的な部分を冷静に観察・分析し、呪文を唱えたり、ブログを書いたりする。

ほどほどで良いということであれば、問題はない。しかしそれでは陰陽師ではないし、単にブログを書くだけの人である。今よりも少しでも「他人に読んで貰いたい」とか、「尊敬して欲しい」といった何らかの願いを持っているのであれば、”ほどほど” で放置することは出来ない。表に出さずとも、陰陽師のように正確に把握した上で、「この部分はこのくらいの “ほどほど” で」と、他人や自分をコントロールする必要がある。

かくしてブロガーという存在は、まさに陰陽師のように他人と己の内面までを把握し、物事を動かしていく。安倍晴明は、もしかしたらモデルは著者の結城光流なのかもしれないとも思う。小説家というのも、SF小説などは少しだけ例外的だが、それでも大なり小なり自分を把握していることが大切である。あらゆる手段を用いて期待する結果を出すには、必要なことである。

この本を読むと、自分も清明のように醜くて汚れているなあと、情けなくなって来た。これが冒頭の、「ブロガーとしての実力を試せると思う」と書いた理由である。もしこれを読んでいる方がいれば、己の書く能力を、例えば ”避難ガイドブック” を書くことに費やそうと考えたことはあるだろうか。そういう自らへの問いかけが、この本では清明に課されている。

ちなみに我が家のMikanお嬢様はこの本を楽しんでお読みになったが、「最後の紅蓮の部分は少なかった。ページ数が不足して手抜きだったと思う」とコメントなさっていた。

「いや、その部分は細かく書く必要はないのですよ、お嬢様。なぜなら紅蓮は ”最強” の神将なのです。実力テストは意味を成しません。清明に使役されるかどうかも、彼には興味がないのです。彼は最強にして最凶と見做されているが故に、孤独なのです。彼が望むのは、彼の人となりをきちんと見て、彼と接してくれる存在なのです。それが紅蓮が主たる人に求めた資質なのです」


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と、いう訳で、さすがに小学校四年生には、少しばかり難しい部分があったようだ。人は見たいものしか見ることない、というか、見ることが出来ない。小説を読むのも、基本的には同じことだ。自分が知らないことを知る。そのためには、師というものの存在は重要である。まだしばらくこのヒツジ執事、お嬢様には欠かせない存在のようですな。

(ヒツジ執事だからではないけれども、実はヒツジのパジャマを着ていたりする)