鉛筆キャップにはファーバーカステルのパーフェクトペンシル

人生は鉛筆に始まって鉛筆に終わる。

実は何を隠そう、僕が最も長いこと使っていたのは万年筆だ。モンブランのマイスターシュテュックという高級ボールペンは、もう何十年も胸ポケットに常備している。

しかし… その僕が現在最も使い込んでいる筆記具は、”鉛筆” なのである。それも日本人には名高い三菱ハイユニ鉛筆だったりする。

もちろん鉛筆を使って悪いことは全くない。しかし三菱ジェットストリーム0.28mm替芯を高級ボールペンに装着し、自らペン先をスタブ化する加工までやってしまう者ようなが、あの三菱ハイユニ鉛筆を使い続けている。

不思議に感じる人も多いかもしれない。いや実際、まさか僕にしても三菱ハイユニを使い続ける日が訪れるとは夢想さえしていなかった。それも “2B” である。

しかしどうしてこのような運命にハマってしまったかというと、理由は簡単だ。「子供が大量の鉛筆を余らせてしまった」という訳だ。

僕は平凡なサラリーマンのオッサンに過ぎない。給料も年収1,000万円なんて、夢のような数字だ。しかし母親が小学生だった子供のために、三菱ハイユニ鉛筆を購入した。

うちの子供も親と同じく、ごく平凡な小学生だった。経済観念など持っておらず、次々と鉛筆をどこかに行方不明にしては、新品の鉛筆を使っていた。部屋掃除も真面目にやることは無かった。

そして先日大掃除をやったら、アチコチから大量の “使いかけの三菱ハイユニ” が発掘されたという訳だ。小学生は筆圧が弱いので、基本的に国産鉛筆である三菱ハイユニだと2Bあたりが丁度良い。だから僕の “闇の文具箱” には、2B鉛筆が山のように積み上げられている。

これをそのまま放置しておくと、なんだか “もったいないお化け” が出没してしまいそうな気もする。それに昭和世代のオッサンの実家は、裕福な家庭ではなかった。

「ご飯を残すことと、鉛筆を最後まで使わないことは悪いことだ!」… これは実家の家訓だと言っても良い。だから今の僕は愛妻ご飯を腹いっぱい食べて、ぶくぶくに太ってしまった。
(結婚する時に結婚生活の先輩から「その一口がブタになる」と忠告されたけど、やっぱり無理でしたな)

で、現在はせっせと、三菱ハイユニを消費しているのだ。ちょうど会社は在宅勤務で事務用品は自腹調達しなければならないし、丁度良いタイミングだと考えると、たしかにそうかもしれない。

しかし短くなった鉛筆を、昔ながらの鉛筆ホルダーで使うのは味気がない。まさに昭和という時代を思い出させる。ちょっとばかり、少しばかり侘しい。

ステッドラーはカッコ良いけれども、どうも手元の滑り止めがザラついて満足できない。

それで知ったのが、福山雅治こと名探偵ガリレオ湯川学先生も使っていたことのあるファーバーカステル社の製品だ。

ファーバーカステルというのは、画像に装着されている “カステル9000番” で有名な文具メーカーだ。ちなみにカステル9000番は、たしか世界で初めての六角形を採用した鉛筆ということで、鉛筆通の間では有名な存在だ。

少しばかりお金がかかってしまうけれども、やっぱり筆記具は快適に使いたい。そこで冒頭画像のように、ファーバーカステルのパーフェクトペンシルなるものを購入してみた。

実際に三菱ハイユニ鉛筆に使ってみて、それなりの使い心地に満足した。鉛筆キャップとしても使えるし、パーフェクトペンシルの内部には鉛筆削りも内蔵されている。「パーフェクト」を名乗るだけあって、なかなかの心遣いだと言えそうだ。

しかし… 「好奇心、猫を殺す」という諺がある。そしてプラスチックでパーフェクトを名乗るのは少々微妙な違和感がある。

この微妙な違和感を消すことが出来ず、なまじ “闇の文具王” と呼ばれるほどの知識のおかげで、この後の僕は「修羅の道」を歩むことになったのだった。

実際、ぶっちゃけて本音を語ると、パーフェクトペンシルは鉛筆キャップとしては全く使い物にならない!

初めてこの “ファーバーカステル カステル9000番鉛筆 パーフェクトペンシル” を外出時に持参した際、とんでもなく非実用的なことに気付いた。回転式キャップのペリカン・スーベレーンにさえ遠く及ばない。

  1. 左手にメモ、右手にパーフェクトペンシルを持つ
  2. その右手だけで状態で鉛筆を抜く… 無理!
  3. 左手をそのままで、両手で鉛筆… 無理!
  4. 左手をもっと自由に市、両手で鉛筆を引っこ抜く
  5. 終わったら、再び鉛筆を引っこ抜く

ちょっとした動作に過ぎないけれども、長年の習慣を急に変えるのは難しい。そんな訳で、今は少し上に表示した画像のように、鉛筆サックを利用している。これでようやく、パーフェクトな使い心地になった。

さすがにここまで本音を語ってしまうと、メーカーやメーカー協力が必要なメディアからは敬遠されてしまう。「趣味の文具箱」から「闇の文具箱」への転落である。

具体的に何でどう闇落ちしていったのかは、当ブログで少しずつ紹介したいと考えている。工夫は必要だけれども、その工夫を凝らすことこそが楽しい。

僕にとっては、工夫を凝らして楽しむことが、文房具に拘ることの醍醐味だと思っている。残念ながら、鉛筆画家さんのような才能も忍耐力も向上心もない。「絵心ゼロ」だ。

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静