[湘南日記] 三浦春馬が持っていたものと、持っていなかったもの

今日は子供の誕生日だけれども、僕は付箋紙に書き込む筆記具に悪戦苦闘していた。言い訳をすると、これは僕にとって大切な商売道具なのである。

今までは調査分析するまでもない説明資料の作成が多かったけれども、このところ急に分析業務が増えて来た。上層部が問題意識を持ち始めて来たということであり、会社にとっては良いことだ。

テレビドラマのCIS分析官ではないけれども、あれこれと収集したデータを分析して、上層部に対して状況説明や推進プランを提案する。だから付箋紙と筆記具が商売道具となる。
(もちろんBIツールから得たデータを整理するためにMicrosoft Excelの表計算もバリバリに使っている)

もともとIQは高いけれども社会性が欠如しているため、TVドラマ相棒の杉下右京みたいな匿名係… いや特命係だったりする。若手にノウハウを教えようと頑張っているけれども、どうも “誰にでも可能なデータ・サイエンス技法” という代物ではないらしいことが分かって来た。

クロスのポーラス芯

ある意味で天才的なハッカーであるファルコンに近いと言えるかもしれない。ファルコンとはTV番組ブラッディ・マンディに登場した高木藤丸のコードネームで、三浦春馬が演じていた。

… と、ここまで来て、ふと三浦春馬が持っていたものと、持っていなかったものに気づいた。残念ながら裏付けデータがないし、もう今では彼に確認することも出来ない。
したがって「単なる当て推量」というか仮説に過ぎないけれども、自分的には興味深いことなので紹介させて頂くことにする。

三浦春馬の持っていたもの

僕が三浦春馬に関して保有しているデータは、幾つかのドラマで見かけた演技と株式会社ワニブックスの “日本製” という著書だけだ。ただし日本製は400ページを超えており、本人へのインタビュー記事も掲載されている。

こちらは幾つも気になったところはあるけれども、特に目に留まったのは、茨城県を扱った64ページ目の写真だ。

右手に持っているのは一眼レフのカメラだろうか。彼は写真集も出版しており、日本製にも彼の撮影した写真が掲載されている。
俳優として「撮影機器を通して他人に見られること」に長けていたからなのだろうか。
僕は素人だけれども、彼は一流の写真家として通用するように見える。

三浦春馬の持っていなかったもの

次に目に留まったのは、栃木県を取り扱った76ページ目の写真だ。

選挙の投票所に置かれているような、鉛筆芯だけのプラスチック筆記具を握っている。
75ページ目の説明によると、漢字試験を受けている最中の写真だと思われる。
「ダメだ、難しい!」と悲鳴を上げたとはいえ、まあまあの出来だったとのことであり、「さすがは三浦春馬」といったところだろうか。

ところでこちらの写真はいたずら坊主のような笑顔になっている。最初の画像は真剣というほどではないけれども、満面の笑みとなっている。
逆にこちらの方が、「三浦春馬の持っていたもの」と言いたいような気がする。
ちなみに彼は授業で当てられて教科書を読むことが好きなタイプだったとのことだ。
76ページの文章部分では、「みんなに聞かせたい、みたいな(笑)。あの頃は積極的だったんだなぁ」と、俳優としての片鱗を感じさせるエピソードを語っていた。
これも「三浦春馬が持っていたもの」と言えそうだ。

2つの写真から読み取れること

さて勘の鋭い方は、もう僕の言いたいことが分かってしまったかもしれない。
僕から見ると、彼は “映像による表現者” なのである。

冒頭部分で「最近は自分の分析業務が増えた」と説明した。
ある意味で、僕もどちらかというと表現者だったと思う。そこに分析業務が加わったという形になる。
僕の場合は説明資料の作成だから、文章や図を通した表現になる。それでも言いたいことは、好き放題に言えた。
プロデューサーや監督が仕切る映像作品と異なり、好き放題ができた。

これは結構なストレス発散となった。窓際族ではあっても、真面目に説明資料へ目を通してくれる人は極少数であっても不満はなかった。
だから昨今の在宅勤務になっても、全く困ることはない。事業部長へのプレゼンテーション説明も、自宅から実施した。
だから付箋紙はともかく、昔から筆記具には拘りがあった。
文具ライターとも呼ばれる所以である。

一方で三浦春馬が手に持っているのは、カメラだけだ。
考えてみると辻仁成/中川翔子の両名はiPhone 14 Pro Maxを購入した際、1TBモデルだった。
僕はiCloudに写真アルバムを保存しようとして、5GBギリギリになってしまった。ただし動画を二つ消したら、3.5GBまで減少した。
つまり彼/彼女は動画を撮影しているのである。
ミュージシャンや女優というのは、そういう道を進むのだろうか。

そして2つの画像を見て分かるように、彼はオシャレなセーターを着ている。
当然だけれども、セーターに胸ポケットはない。すぐに筆記具を取り出すことは出来ない。
というか、そもそも漢字試験でプラスチック鉛筆を使うくらいだから、撮影に使えるような筆記具を持ち歩いていないのだろう。
そして日本製という本も文章はスタッフが執筆しており、彼が書いた文章は各都道府県名の下にある一行だけである。

つまり三浦春馬は “映像を通した表現者” としては超一流であり、やさしく温厚な性格ではあることも相まって、自分の中に溜まった毒を吐くということに慣れていない。
いや、三浦春馬は毒を吐くという能力を持っていないようにも見える。
たとえ悪役であっても、純粋な悪役なのだ。邪悪さはない。

一方で例えば俳優の菅田将暉は『菅田将暉のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務めている。柔らかくではあるけれども、毒を吐くことができなければパーソナリティは務まらない。
聖人君子的な面しか表に出さないでいると、番組に面白みを出すことは難しくなってしまう。
同じ俳優であっても、ある意味で二人は対照的とも言えるだろう。

そしてたとえ三浦春馬と言っても、神さまではない。
人間である限り、さまざまな煩悩や悩みから逃れることはできない。しかし毒を吐いたり欲望に負けることを良しとせず、純粋さを貫こうとした存在が三浦春馬だった。
Twitterで誹謗中傷するような存在になられても困るけれども、自分の中に溜まった毒や欲望をガス抜きすることは大切だ。
そうでないと生きていくうえで蓄積されていく毒や欲望の量が増え、いつかは自分を押し潰してしまうことにもなりかねない。
日本製で読んだ一行コメントには、もちろん毒や皮肉は全く存在していない。各都道府県の良いところを、サラリと的確にコメントしている。
(そういう趣旨の本ではあるけれども、たとえば小説なんかは毒や欲望を多分に扱っている)

以上が僕から見た、三浦春馬が持っていたものと、持っていなかったものである。
あまりにデータが不足しているので仮説の範囲を超えないけれども、別に真実を明らかにする必要はないだろう。

それに三浦春馬が三浦春馬であるというのは、その純粋さゆえであるような気もする。
「善人ほど早死にする」とも言われるが、案外と当たっているのかもしれない。

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静